真夜中の学校。廊下の窓から差し込む月明かり。その光を正面から受け、佇む私。まるでセリフを忘れた舞台女優の気分。言葉は何も生まれない。私はただ立ちつくす。
 淡い黄金色の光に、微かな色彩が含まれていることに気付く。消えてしまいそうな色。微妙な角度が織りなすストライプ。それは、私のすぐ側にある緑の非常灯と消火栓の赤ランプのせい。
 突然湧き出た衝動。赤ランプのすぐ脇にあるボタンを押す。けたたましく鳴り出す非常ベル。月の光が差し込むこの場所には全くそぐわない。
 制服のスカートを押さえながら、全力で駆け出す私。突き当たりを右へ曲がり階段を駆け下りる。蒼冷めた下駄箱を横切り、また階段を駆け上がる。廊下、階段、廊下、階段。赤い点滅に支配された校内。
 そして渡り廊下を駆け抜け、自分の教室へ飛び込む私。と同時にその場にしゃがみ込む。胸に手を当て、貪るように酸素を取り込む。背中を伝う汗。破裂してしまいそうな心臓。静脈から動脈へ、フル稼働で血液を押し出す。
 やがて非常ベルは鳴りやみ、校内は元の静けさに包まれる。息が整うとともに、頭の中が静寂の音で満たされてゆく。
 そこで私は気付く。整然と並べられた机。窓際の一番後ろの席に誰かが座っていることを。月明かりに照らされた女の子。顔を机に伏せているため誰かはわからない。でも、その人物は紛れもなく私自身。なぜならそこは私の席だから。
 足音をたてないように、ゆっくりと私自身へ近づく。眠っているの?リノリウムの床からは、隠しきれない私の足音。けれど私自身は身動き一つせずに机に伏せている。
 月明かりに照らされた真っ直ぐな髪。微かな呼吸と共に上下に揺れ、キラキラと反射している。なだらかな肩。その肩から伸びている白くしなやかな腕。手首に巻かれた小さな腕時計が、控えめに時の流れを主張している。
 そして、その肩にそっと触れる私。と同時に、私の肩も誰かに掴まれる。ゴツゴツとした岩のような感触。グローブの様に大きな手。
 振り向くとそこに、月明かりに照らされた父がいた。
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