I

 無作為に選択したビルの中は、その外観と同様に老朽化が激しかった。私の通う学校と同じリノリウムの床には綿埃が薄積しており、階段を一歩踏みしめる度にそれらは逃げるように浮動した。
 時折頭上から、キラキラと輝く小さな砂粒が落ちてきた。私は一瞬だけその様を美麗に感じたが、それが単なる塵だとわかるや否や興味を失った。髪や制服にとまった塵を丹念に祓いつつ、壁の亀裂が形成する幾何学模様だけを目で追うことにした。
 何時からか私自身の内部にも似たような亀裂が生まれていた。その発生の具体的な起因はわからないが、無数の亀裂が生じていることだけは確かだった。これが病なのか、それとも生育における必然的な現象なのかは私にはわからないが、ただ一つだけ断言できる事と言えば、ここが今の私に最も相応しい場所だという事だった。そしてその確信は階を増す毎に強まった。
 私はこれから、一七年の凡俗な歴史を塗り替えるつもりでいる。或いはそれが文字や数式なのであれば、書き換えると表現すべきだろうか?歴史の構築には気の遠くなるような時間を要するが、変更作業は僅か数秒で完了する。その事に気付くまでに、一七年も掛かってしまったのだ。
 目で追っていた亀裂の果てに、鉄製の扉が見えた。それはまるで、行き止まりに迷い込んでしまい立ち竦む老人のように見窄らしかった。表面を覆っているブルーのペンキが無惨に剥脱し、そこかしこに錆び付いた地肌を見せていたからだ。
 扉上部の小さな窓には擦り潰した綿菓子のような埃がこびり付いていたが、指が汚れてしまうのを承知でそれを拭った。
 すると、ぼんやりと殺風景な風景が現れた。そしてそれは悲しい気分の時に見る風景に似ていた。
 歪んだ世界。海底のようにゆっくりと揺らめいているようにも見えるが、陽炎のように小刻みに震えているようにも見える。霞んでいる部分と鮮明な部分の混在。それはきっと曇った窓ガラスのせいではなく、この扉の向こう側が綿菓子の世界だからだ。
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