2 セラピー

 騒がしい教室。いくつかのグループに分かれて、楽しそうに雑談をしている生徒達。一番後ろの窓際の席で眠っている私。飛び交う言葉は一旦私の耳に入り、私というフィルタに断片化されて、開け放たれた窓から、春の校庭へと逃げて行く。
 それらの言葉と入れ違いに、優しいそよ風が舞い込む。そして私の髪を揺らし、頬をくすぐる。それは目が覚めてしまう一歩手前の心地良さ。
 私はクラスメイトに『眠り姫』と呼ばれている。それは決して良い意味ではなく、私が一日中眠っているから。
 退屈な授業、退屈な休み時間。退屈な登校、退屈な下校。私の眠りは時と場所を選ばない。微睡みが顔を出したかと思うと、たちまち深い眠りの国へと誘われる。誰もが、私の眠たげな顔しか知らない。私の霞んだ瞳しか知らない。

 チャイムが鳴り、静かになった教室。三時間目の授業。教室を支配している教師の声。気怠くも支配的な言葉。私を更なる眠りの底へと引き込む。
 シャープペンシルとノート。黒鉛の芯がリズミカルに薄片の上を滑る。まるでモールス信号のよう。生徒達の無言のやり取り。私には関係のない秘密の会話。解読不可能な暗号。
 私は眠る。支配的な言葉とモールス信号に包まれて。私の腕時計から紡ぎ出される時間の音を聞きながら。やがて私は外部とのアクセスを絶つ。誰も私の眠りを妨げようとはしない。なぜなら私は『眠り姫』と呼ばれているから。

 突然誰かに肩を掴まれた。岩のようなその感触。否応もなく眠りの国から引き戻される。不透明な意識のまま、前髪を掻き上げ体を起こす。そこには、スーツに身を包んだ父が立っていた。
 帰宅後、いつの間にか眠ってしまった私。部屋に差し込むオレンジ色の夕日。単色の世界に、私と父のコントラストが強調される。
「おかえりなさい」と私は言う。でも父は何も答えない。その代わり、私の肩を掴んだ手が少しだけ緩む。
 そしてオレンジ色に染まった父の顔が近づく。汚れに満ちた吐息が私を拘束する。重なる二つの影法師。父の視線。父の息使い。父の匂い。それらすべてを遮断するために、私は人形と化す。ううん、人形に徹する。人形は心を持たない。だから僅かな感情の漏洩も許されない。
 テディベアは傍観者。私達を見つめる黒いガラス玉の瞳。私はその瞳を見つめながら、ただひたすら待ちわびる。短い時の中で、気の遠くなるような終末を。
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